◆ 奈良e-古都タウン
 奈良県の社寺 (379)
検索結果:9件 - 
【高市郡 明日香村】 檜隅寺 (ひのくまでら)
〒634-0135 高市郡 明日香村 檜前
飛鳥時代を語る上で決して見落とすことができないのが、大陸からの渡来人の子孫である各氏族の存在である。檜隅寺は渡来系氏族のひとつで、朝廷に仕える官人を輩出した倭漢氏の氏寺である。倭漢氏の祖は応神天皇の頃に来日したと伝えられる阿知使主。寺跡は、基壇の部分が阿知使主を祭神とする於美阿志神社の境内に残っている。建物の配置は、塔を金堂・講堂・回廊が取り囲む独特のもの。寺塔には、十三重石塔(重文)が平安時代末に建てられている。「書記」に寺名が登場するのは朱鳥元(686)年の条からだが、出土した瓦には基壇よりも古いものが多くあり、その創建時代の確定を難しくしている。
【高市郡 明日香村】 豊浦宮 (とゆらのみや)
〒634-0107 高市郡 明日香村 豊浦
592年に推古天皇が即位した場所が豊浦宮である。豊浦宮はそれらの宮が明日香地域に集中して建てられるようになった最初のもので、そのため、「飛鳥時代」といえば通常、推古天皇の即位によって始まるとされている。即位から11年後の603年、天皇は小墾田宮に居を移し、豊浦宮は蘇我馬子が譲り受け、尼寺とした。豊浦寺のはじまりである。平成5年に行われた寺跡の調査では、建物の配置が飛鳥寺と同じであることが判明している。また、寺の講堂だったと考えられる場所のしたからは、6世紀末から7世紀初のものとみられる遺構が発見されており、宮跡を寺にしたいう「書記」の記述内容が実証されることとなる。
【高市郡 明日香村】 橘寺 (たちばなでら)
〒634-0142 高市郡 明日香村 大字橘532
電 話 : 0744-54-2026
代表者 : 高内 良正
宗 派 : 天台宗
創建年代不詳。文献に初めて登場するのは天武9年(680)。聖徳太子誕生の地といわれ、太子建立の7カ寺の一つ。8世紀には66もの堂宇が立ち並ぶ大寺院で四天王寺式伽藍配置をとっていた。現在は江戸期に再建された本堂、太子堂など、わずかな諸堂を残すのみとなっている。室町時代の聖徳太子坐像(重要文化財)をはじめ、善悪2つの顔が刻まれた二面石などがある。境内には3つの副柱の穴をもつ塔心礎が残る。
【高市郡 明日香村】 於美阿志神社 (おみあしじんじゃ)
高市郡 明日香村
現在は檜隅寺跡のなかに鎮座し、阿知使主神が祭神である。阿知使主は飛鳥時代に大きな勢力を持つこととなった東漢直一族の祖先で、古事記によると応神天皇のときに十七県の人夫を率いて渡来し、高市郡檜前村に住んだといわれている。
【高市郡 明日香村】 岡寺 (おかでら)
〒634-0111 高市郡 明日香村 岡806
電 話 : 0744-54-2007
代表者 : 川俣 海淳
宗 派 : 真言宗豊山派
天智天皇2年(633)、義淵僧正が草壁皇子の岡宮をもらい受け創建。当初、伽藍は別の場所にあった。岡宮をもらい受けたことから岡寺と呼ばれているが、正式には龍蓋寺という。現在は山の中腹に江戸時代の書院(重要文化財)や仁王門(重要文化財)、本堂が佇む。本尊は天平時代作で女性の厄除け観音として信仰を集めている如意輪観音坐像(重要文化財)。像高3.6mでわが国最大の塑像。西国三十三カ所観音霊場第7番札所でもある。四季折々の花が美しい。
【高市郡 明日香村】 飛鳥坐神社 (あすかにいますじんじゃ)
〒634-0103 高市郡 明日香村 飛鳥709
電 話 : 0744-54-2071
代表者 : 飛鳥 弘文
厳かな雰囲気が漂う古社。近年になって、本殿や拝殿が吉野の丹生川上神社上社から移築された。境内には小さな社が並び、数々の陰陽石が置かれており、子授けの神として信仰を集めている。2月第1日曜に催される「おんだ祭」は奇祭として有名。天狗とお多福が演じる濃厚なラブシーンに笑いが起こる。
【高市郡 明日香村】 飛鳥寺 (あすかでら)
〒634-0103 高市郡 明日香村 飛鳥682
電 話 : 0744-54-2126
FAX : 0744-54-3743
代表者 : 住職 山本 宝純
宗 派 : 真言宗 豊山派
推古4年(596)、仏教を保護した蘇我馬子の発願により日本初の本格的寺院として完成した。平城京遷都に伴い奈良の地に移転され元興寺となる。三金堂が塔を囲む大寺で、その規模は現法隆寺の3倍にも及んだが、鎌倉時代に伽藍の大半を焼失した。現在の本堂は江戸時代に再建されたもの。本尊の銅造釈迦如来坐像(重要文化財)は創建時、飛鳥時代の作で日本最古の仏像。飛鳥大仏の名で親しまれる。寺の西側には蘇我入鹿の首塚と呼ばれる五輪塔が残っている。境内に山部赤人の歌碑がある。
【高市郡 明日香村】 飛鳥浄御原宮跡 (あすかきよみがはらきゅうせき)
〒634-0111 高市郡 明日香村 岡
671年、大友皇子と大海人皇子が皇位を争った(壬申の乱)。浄御原宮は戦いに勝った大海人皇子(天武天皇)が明日香の地に造営した宮である。「伝板蓋宮」と呼ばれている浄御原宮の遺構は内郭と外郭にわかれており、内郭は南北197m、東西は155mの規模。建物は多くが床下2mの高床建築だった。外郭の遺構は内郭北、東、西の三方向で囲む形で残っている。内郭の東南部、村役場の東には「エビノコ郭」と呼ばれる南北70m、東西95mの遺構があり、ここには天武時代の大極殿があったと推定される。
【高市郡 明日香村】 飛鳥小墾田宮 (あすかおわりだのみや)
〒634-0107 高市郡 明日香村 豊浦
小墾田宮に移った推古天皇に続き、厩戸王子(聖徳太子)は斑鳩宮(斑鳩町)に入った。広く知られている「冠位十二階」や「憲法十七条」の制定はこの時期のことである。この宮は、「書記」の記述から推定すると、南の門を入ったところに庭や大臣たちが勤める庁舎が、さらに門をくぐったたところに天皇の住む大殿があるという配置で、後の宮殿の基本構造がすでにこの時点であらわれていたことがわかる。宮があったとされる場所のうちもっとも有名なのは、豊浦寺のすぐ北の一画である。平成4年には飛鳥川右岸で奈良時代の小治田宮跡が検出されており、小墾田宮もここではなかったかとする意見もある。
検索結果:9件 - 
このサイトの掲載内容の複製・無断転載を禁じます。
copyright (C)2001-2009 Zenkoku e-town forum. All rights reserved.